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2013年 01月 15日
書物たち/books
それほどの読書家ではないけれど、本は読むほうかもしれない。
付き合う本達にはいくつかの分類が可能で、それぞれに振り分けられた本達の「現時点での」価値も異なる。

1)風呂本
これは一日の終わりにじっくりと、その日の世界を復習するための書物。自分の世界との向き合い方をリセットするためのものが中心だけれど、ジャンルは問わない。震災と原発事故以降の、この国の奇妙な政治的漂流の時間が続いているここしばらくは、N・チョムスキー、P・ヴィリリオ、安部公房らのメディア批評や社会批判をぬるま湯に浸かりながら読む。面倒な世俗を忘れ自分を取り戻したいときには、J・L・ボルヘス。

2)便所本
短編のほうがいい。文字通り、「糞切り(ふんぎり)」がつきやすいのだ。もう長いこと水木しげる氏の短編集を持ち込んでいる。水木氏の場合は貸本時代のストーリー漫画も便所的に心地よいけれど、岩波新書でシリーズ出版された「妖怪画談」や「妖精画談」なども、見開き毎に完結した内容なので便所読みに馴染む。同様に見開き完結型では、原広司氏の「集落の教え100」も優れもの。なにかを一つ捨て去る毎に一つの集落的教訓を厳かに身に沁みさせるのも、清々しい作業だ。

3)カバン本
いつも持ち歩く本のこと。じつは、ここには3通りの本がある。一つは、いつも積極的に手に取り読みたくなる本達(定番的愛読本)。二つ目は仕事やプロジェクトの参考として「軽めの(ノートに書き写しながら読まなければならない訳でもない)」宿題的読書のための本達。そして三つ目は、いまは忙しくて読めないけれどいつか読んでやらねばといつもカバンに忍ばせている罪悪感にまみれた本達。初めの二つについては、ここ数年は金子光晴氏の著作一辺倒だ。昭和初期に欧州から東南アジアを流浪した旅行記は極上の日本語で綴られており、優れた感受性で拾い集められた「アジアの質感」は、どれほど発展し見かけの姿がかわろうとも変わることのないアジアの悲しさそのものだ。氏の「絶望の精神史」は、いまの日本の状態を歴史的に再確認するためにも鈴木大拙師の「東洋的な見方」とセットで読むべき良き風呂本でもある。三つ目の「いつか読むぞ本」は次のデスク本とも重なる。ともあれ、このカバン本は軽量であることが重要。基本的に文庫本か新書、単行本であれば小型のものを携帯する。

4)デスク本
主として仕事・プロジェクトのための参考資料的な真剣読みの書籍。気になった本はその場で(できるだけ迷わずに)アマゾン購入することにしているので、とくにプロジェクト構想時の躁状態の時期にはバンバン書籍が送られてくる。ところがそんなに優雅に読書に時間をかけられるはずもなく(また自分の読書速度ものんびりしたものであるため)、デスク上にはジャンルも滅茶苦茶な多種多様の本達が「罪悪感の塊」として積み上げられることになる。いつの日か読書のためだけに超長期の休暇を取ってやると思いながら、実行できた試しは一度もない。でも、いよいよ今年あたりには、そうやって自分を開拓するために引きこもる時間もつくってみなければと考えている。

5)本棚本
これは既に読まれ、あるいはまたこれから再度開かれるかもしれない本達。控え選手的な位置づけ。

6)書店本
まだ出会ってすらいない本達。うっかり書店を覗いたりするとまた読める時間を顧みずに大量購入の暴挙に出てしまう恐れがあるため、最近は意図して書店には立ち寄らないことにしている。でも、そういう情報鎖国的な姿勢もけっしてよいものではないだろうから、なにかしら書店の訪れ方を工夫してみなくてはと思っている。

と唐突に本の話をはじめてみたのは、最近また面白い一冊との出会いがあったから。その話は、(たぶん)またいつか気の向いたときに。


書物たち/books_b0169355_015940.jpg

Yokohama, Japan

by Em_garden | 2013-01-15 00:11 | 日記的メモ


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